登園拒否児だったワタシ [雑記]
こんにちは 翠雀です。
本日2つ目の投稿です。
いきなり登園拒否児だったって告白 もう何十年も経ってるのにね。
春になるといまだに思い出す経験です。
4歳の頃でしょうか。初めて保育園に行きました。
あまり事前説明もなく連れて行かれたように思うのですが、
自分がどうしてここにいるのか、ここって何するところなの??ってプチパニックになりました
親は門の所で私を置いて行ってしまい、先生という人が私を教室へ連れて行きました。
初めて会う子供たち。そこでの遊びも初めての事ばかり。
いつになったら家に帰れるの? そんな事を考えていました。
お昼は給食が出たのですが、これもダメでした。
メニューは野菜のてんぷら。
私は好き嫌いない子供でしたので、人参の天ぷらも平気です。
だけど食べられなかったの。
先生が天ぷらにお醤油をかけました もうそれだけでダメでした。
母の天ぷらは天つゆでした。 甘目の香りよい天つゆ。
母のご飯以外食べた事ないような子供でしたので、子供心にお醤油をかけるのは乱暴に感じたのです。
もうビックリしちゃってね
そこは食後にお昼寝タイムがあるのですが、時間になっても食べ終わらない子は
廊下に出されちゃうの。
廊下に机を出して、給食を完食させられるという恐怖。
でもどうしても食べられない。
そんな初日があって、もう次の日は出かける前から大泣きで
それでも車に乗せられて、門の所で先生に抱っこで渡されて
『早く帰ってください』
って先生が父に言う声を覚えています。
3日目も同じ調子。
とうとう両親は保育園に行かせるのをやめました。3日でリタイア
内気な子だったので、理由を聞かれてもハッキリ言えなかったのですが
給食が口に合わなかったり、お昼寝タイムがなじめなかったりと
些細な事ですが、子供にはとっても大きな理由だったのです。
全然快適ではない場所。知らない子と関係を築くのも私には難しかった。
保育園に行かなくて良くなった私は、毎日父の仕事について行きました。
自営業だったので、車で出かける時にはいつも一緒に行きました。
仕事関係の人に
『今日は幼稚園お休みなの?』
と聞かれると気になるのだけど、
『その内に行きたくなったら行けばいいんだよ』
と父は言ってくれました。
小学校に上がる少し前に、私は幼稚園に入りました。
『小学校では幼稚園からのお友達同士が仲よくなるから、少しでも幼稚園に行った方がいいよ』
そう言い聞かされたのです。
半年位通ったでしょうか。
以前の保育園時代とは私自身が成長していたので
これは小学生になる為のステップなのだ、と理解していました。
幼稚園も給食だったけど、何とか食べられるようになっていました。
運動会や遠足も経験できたし、いじめっ子に悩んだり、その子と仲よくなっちゃったり
子供の世界の色々を経験しました。
小学生の私は相変わらず引っ込み思案で大人しい子でした。
リレーの選手だったし、水泳も陸上も球技も出来る方だったし
クラス委員もしていたのに、なぜか自分に自信が持てませんでした。
その後、徐々に社会に順応していきまして、今では厚かましいおばちゃんに
とにかくですね、もしお子様が幼稚園に行かれなかったり、
公園で他の子とはしゃいだり出来なかったり
どうして?って思う事があったとしても
ゆっくり見守ってあげて欲しいのです。
子供だからって、全員がキャッキャとはしゃいだりしないんです。
キャラクターの着ぐるみが怖い子もいるんです。
親のそばにいる事が何よりも安心で心地よいと思っている時は
出来るだけそうさせてあげて欲しい。
その内に成長して何でも一人で出来るようになります。
子供なりに自分は他の子と違うのかなって感じている時に
そんな自分を親が肯定してくれるのは何よりも幸せなことです。
親はそれなりに心配していたようですが、私にはそれをみせませんでした。
だから私のペースで成長できたのだと思います。
親になったことのない私ですが、登園拒否児だった経験から
お話しさせていただきました。
本日2つ目の投稿です。
いきなり登園拒否児だったって告白 もう何十年も経ってるのにね。
春になるといまだに思い出す経験です。
4歳の頃でしょうか。初めて保育園に行きました。
あまり事前説明もなく連れて行かれたように思うのですが、
自分がどうしてここにいるのか、ここって何するところなの??ってプチパニックになりました
親は門の所で私を置いて行ってしまい、先生という人が私を教室へ連れて行きました。
初めて会う子供たち。そこでの遊びも初めての事ばかり。
いつになったら家に帰れるの? そんな事を考えていました。
お昼は給食が出たのですが、これもダメでした。
メニューは野菜のてんぷら。
私は好き嫌いない子供でしたので、人参の天ぷらも平気です。
だけど食べられなかったの。
先生が天ぷらにお醤油をかけました もうそれだけでダメでした。
母の天ぷらは天つゆでした。 甘目の香りよい天つゆ。
母のご飯以外食べた事ないような子供でしたので、子供心にお醤油をかけるのは乱暴に感じたのです。
もうビックリしちゃってね
そこは食後にお昼寝タイムがあるのですが、時間になっても食べ終わらない子は
廊下に出されちゃうの。
廊下に机を出して、給食を完食させられるという恐怖。
でもどうしても食べられない。
そんな初日があって、もう次の日は出かける前から大泣きで
それでも車に乗せられて、門の所で先生に抱っこで渡されて
『早く帰ってください』
って先生が父に言う声を覚えています。
3日目も同じ調子。
とうとう両親は保育園に行かせるのをやめました。3日でリタイア
内気な子だったので、理由を聞かれてもハッキリ言えなかったのですが
給食が口に合わなかったり、お昼寝タイムがなじめなかったりと
些細な事ですが、子供にはとっても大きな理由だったのです。
全然快適ではない場所。知らない子と関係を築くのも私には難しかった。
保育園に行かなくて良くなった私は、毎日父の仕事について行きました。
自営業だったので、車で出かける時にはいつも一緒に行きました。
仕事関係の人に
『今日は幼稚園お休みなの?』
と聞かれると気になるのだけど、
『その内に行きたくなったら行けばいいんだよ』
と父は言ってくれました。
小学校に上がる少し前に、私は幼稚園に入りました。
『小学校では幼稚園からのお友達同士が仲よくなるから、少しでも幼稚園に行った方がいいよ』
そう言い聞かされたのです。
半年位通ったでしょうか。
以前の保育園時代とは私自身が成長していたので
これは小学生になる為のステップなのだ、と理解していました。
幼稚園も給食だったけど、何とか食べられるようになっていました。
運動会や遠足も経験できたし、いじめっ子に悩んだり、その子と仲よくなっちゃったり
子供の世界の色々を経験しました。
小学生の私は相変わらず引っ込み思案で大人しい子でした。
リレーの選手だったし、水泳も陸上も球技も出来る方だったし
クラス委員もしていたのに、なぜか自分に自信が持てませんでした。
その後、徐々に社会に順応していきまして、今では厚かましいおばちゃんに
とにかくですね、もしお子様が幼稚園に行かれなかったり、
公園で他の子とはしゃいだり出来なかったり
どうして?って思う事があったとしても
ゆっくり見守ってあげて欲しいのです。
子供だからって、全員がキャッキャとはしゃいだりしないんです。
キャラクターの着ぐるみが怖い子もいるんです。
親のそばにいる事が何よりも安心で心地よいと思っている時は
出来るだけそうさせてあげて欲しい。
その内に成長して何でも一人で出来るようになります。
子供なりに自分は他の子と違うのかなって感じている時に
そんな自分を親が肯定してくれるのは何よりも幸せなことです。
親はそれなりに心配していたようですが、私にはそれをみせませんでした。
だから私のペースで成長できたのだと思います。
親になったことのない私ですが、登園拒否児だった経験から
お話しさせていただきました。
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