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関西への旅 2日目その① 実はすごい吉水神社 [旅行・おでかけ]

こんにちは 翠雀です。

今日は冷たい雨が降っています。

我が家のネコ君[猫]は起きるとすぐにおコタへ直行するのが日課。
私はストーブでお湯を沸かし、湯たんぽを2つ作っておコタに入れるのが日課。
これでスイッチを切ってもかなり暖かいんですよ。お留守番も安心です。

さて、続きが気になっていた方(気になってない[exclamation&question]) お待たせしました。

前回までのお話 関西への旅 1日目 奈良県吉野 暗闇の先に

2日目の予定も未定のまま寝てしまった私たちですが、5時半に目覚ましが鳴りました[目]

夜間拝観の特典として、朝の勤行にも参加させていただけるのです。
6時15分までに集合しなくては扉が閉まってしまいます。
お化粧も後回しにしてまだ暗い道を急いで向かいました。(朝は宿の送迎バスがありませんでした)

朝の勤行に参加.jpg

寒く薄暗いお堂に、昨夜とほぼ同じ満席の参加者が。皆さん熱心です。

経本が配られ、ふりがなを目で追いながらお経を唱えていると、
暗闇から蔵王権現様がお姿を現しました。
そして順番に前に進み、焚香して昨夜と同じ願い事を。

この本堂である現在の蔵王堂の建物は天正20年(1592年)頃に完成したそうです。
秀吉や利休さんも参拝した建物が残っているなんてすごいな~と感動しました。

さらに時代をさかのぼると、1336年には後醍醐天皇が南朝を開いた場所です。
12月に到着した後醍醐天皇はまず蔵王堂で祈願したとか。
一つだけの願い・・・後醍醐天皇にとっての願いはやはり京都へ戻る事だったのでしょうか?

宿に戻って朝ごはんをいただき、ひとまず奈良を目指す事にしました。

その前に、宿のネコちゃん。
番頭さんの静止を振り切って屋内に潜入。
縁側で日向ぼっこ。

旅館のネコちゃん.jpg

野良ちゃんとの事でしたが、こんなものまで完備されていて。

旅館のネコちゃん2.jpg

煮干しをパクついていました。 絶対野良ちゃんではありませんよ、番頭さん[わーい(嬉しい顔)]

ロープウェイの駅に向かって歩いていると、吉水神社がありました。
何の知識もなく立ち寄ったのですが、ここはすごい神社でした。

吉野 一目千本はここだ.jpg

一目千本 聞いた事あるフレーズです。
ここからの眺めの事だったんですね~。 ちなみに桜の季節はどうかというと
写真看板がありました。

吉野 吉水神社.jpg

桜の合間の緑の木は吉野杉です。
花粉症のワタシ。桜は見たいけど、ちょっと心配[ふらふら] どうなのでしょうか?

さて、吉水神社ですが、南朝を開いた後醍醐天皇の皇居となった場所です。
玉座の間は金箔に描かれた障壁画に囲まれたきらびやかな部屋ですが、
これは後に花見で訪れた秀吉が狩野永徳に修繕させたものだそうです。

そして、さらに時代をさかのぼった1185年には、義経と弁慶、静御前が身を寄せた場所でもあります。
板張りの簡素な部屋が残されています。
女人禁制の大峯山を目指す義経とはここで一生の別れになってしまうわけで、

【吉野山 峯の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ恋しき】

という歌が悲しみを誘います[もうやだ~(悲しい顔)]

展示品もすごいラインナップでした[exclamation]

後醍醐天皇、義経、弁慶、秀吉などのゆかりの品々が沢山ありました。
弁慶の鎧はとても大きく、やはり弁慶は大男だったのだと実感しました。
対照的に義経の鎧は華奢でした。

庭には、邪気払い所がありました。
京都の空が臨める高台で、指を刀印にして縦横縦横に9回空を切り
最後にエイっと斜めに切りおろします。
未来に待ち受ける悪い気を事前に取り払う護身術との事。
楠木正成も出陣にあたり行ったそうなので、私たちも『エイっ』と。

あまり知られていない(んじゃないかな[あせあせ(飛び散る汗)])神社ですが、
数々の歴史の舞台として見ごたえありました。
もう少し歴史を事前学習してから改めて訪れたいと思いました。

内部は撮影禁止だったので、詳しくは吉水神社のHPでご覧ください。⇒コチラ
邪気払いの方法も丁寧に載っています。

さて、改めてロープウェイ駅に向かう私たち。
でも、ロープウェイに乗るのはまだまだ先です。

その②につづく。
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